わたしたち、本が好きです。
こんにちは!
おひさしぶりのにわとり舎です!
本って、いいですよね。
本は単なる活字の集合体、情報ソースではござらぬでありまして、
それを取り巻くすべて、その存在自体のあらわれが大好きです。
つい手にとってひかれる本というのは、生きているとおもうほど。
いや、これ、マジで。
大人になって児童書を読んだりするのもオツです。
ダレン・シャンなんか、めちゃくちゃおもしろいです。
とーちゃんは、モラトリアム20代に図書館の児童書コーナーを棚の端から端まで制覇したことがあるそう。
あの風貌で児童書コーナーに毎日朝から晩まで居座っていたなんて・・・。
想像しただけでホラーであります。
子どもたちにはある種の学びではあるかもだけど、司書さんは気が気でなかっただろうに。
笑。
ででで、
さてさて、
先日阿蘇市の図書館で、むすこどのがふいに手にとった絵本がありました。
それがこちら。
じゃじゃん!
「ぼくとお山と羊のセーター」です。
数ある絵本の中からそれを引き当てるわが子。
やっぱり本は生きている説、濃厚であります。
秩父のたった3件しかない小さな集落で育った著者が、
畑を耕し、牛や鶏や蚕を飼い、お茶もつくる、そんな自給自足の生活の中で、
そだてた羊の毛で作ってもらうセーターを心待ちに過ごした1年が四季のめぐりとともに描かれています。
動物たちとの暮らしは、毎日がダイナミックでいきいきとします。
牛や羊など大きな4つ足くんたちと対峙するには、人間側はそれ相応のエネルギーも必要。
お肉を食べると元気が出るのは、そういうわけなのですよね。
獣たちの躍動している、みえないあのエネルギーをひっくるめて私たちはいただいています。
この絵本、
単なるノスタルジーでおわることなく、
大胆な絵の表情や線から、
著者の少年時代のはつらつとしたきらめくものが伝わります。
昭和31年。
70年前のこと。
70年後は、はたしてどんな世界になるのだろう。
当時は毛がりもはさみです。手動。
今はバリカン。自動。
さらにロボット。全自動。
なるか、否か。
ぼんちゃんの毛刈り、なつかしいなぁ。
このときのウールは大切に保管しています。
少年が1年に1度のセーターをとてもたのしみに大切にしていたこと、
とてもよくわかります。
ファストになった服の世界だけど、
なにかを大事にしたい気持ちをにんげんが失ってしまったわけではないはず。
時代の変遷とともに、家々に当たり前にいた動物たちは必要がなくなり、
暮らしの外側にいきました。
阿蘇さとう農園さんは、
この外側にいってしまった動物たちの力を借りて、阿蘇の大地を守ろうとしています。
草原が必要か、必要でないか。
自然が必要か、必要でないか。
何が必要で、何が必要でないか。
いつだって、それを決めているのは、わたしたち。
選択して、行動する自由を
瞬間、瞬間、
チクタク、チクタク、
にんげんには与えられています。
それって、やっぱ、愛なんだよね。
羊がいる暮らしって、いいんです。
あぁ、
ぼんちゃんに会いたいなぁ。
ぼくとお山と羊のセーター、ぜひ。
阿蘇の里山の水源近くの古民家をセルフリノベーションしながら、薪をくべ、田畑を耕し、ときどき麦を編みながら、動物たちとともに暮らしています。あたらしい時代のあたらしい生き方を実践すべく、土に根を張り、ヒトも自然の一部として、日々をおもしろがって生きています。